群馬県の小6女児自殺の件では、いじめの存在を漸く認めながらも、いじめと自殺の因果関係までは認めない校長の発言をめぐり、情報番組やニュースメディアでその真偽を問う取材内容や議論が多く報道されている。

◆12歳のSOS:桐生小6女児自殺/下 2日前 /群馬 - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/area/gunma/news/20101112ddlk10040126000c.html

 学級崩壊ともいえるような状況にまで至っていながらも、当初はいじめの存在さえも認めようとしなかった校長の「いじめはあったが、(自殺の)直接的な原因は分からない。」との発言は、保身を図っているように捉えられても仕方ないところだ。

 その発言の真意が保身であるならば、“直接的な原因であると証明されない(間接的な原因である)限りは、教職・校長職を全うできる”という規則(・慣例?)を狙ってのことなのであろう。いじめと自殺との因果究明策とともに、いじめへの学校側が施した対応策と責任の規定にも問題ありということなのだろうか?

 人間の行動の因果把握は難解なものだ。
 購買・消費行動に関しては、学者や分析に軸足をおいたマーケターたちが、定性的にも定量的にも、また本人が明示できない原因の抽出も含め様々な因果分析を施し、意思決定プロセスの解明に懸命に取り組んでいる。だが、そこから導かれている行動の原因は、ひとつの直接的原因に絞られるものではなく、複雑に絡み合う複数の直接的原因が、その時どれほど結果への影響力があっかを解明する策の必要性を示している。

 命令などの「強制」の力が働いていない中での、人間の選択行動(結果)の原因というものは、複数の直接的原因が複雑に入り組んでいるものであろう。その意味で、今回の群馬のケースは、「いじめが自殺の直接的原因のひとつ」であることは間違いないと思われて仕方がない。
 校長は「いじめは自殺の原因にはなっておらず、自殺にはいじめ以外の「強制」力が働いていた」と言いたかったのだろうか?